〈京都地名の由来を歩く〉死から戻った境界の橋?「一条戻橋」
筑波大名誉教授、谷川彰英先生の大ヒット作『地名の由来』シリーズ、京都から「占いと怨念の世界」の章で展開された「一条戻橋」の項をご紹介いたします!
父は「自分は死んで縄で縛られて閻魔の庁にいたのだが、閻魔大王が今回は帰れといった。なぜかと聞くと、お前の息子の浄蔵が必死に帰って来てくれと祈るのでお釈迦様が特別の許可を出してくれた。閻魔大王に解放されて、手を引かれてきたら生き返っていた」と語ったといいます。
この浄蔵は正式には浄蔵貴所(きしょ)という名の僧侶であり、この浄蔵も賀茂川の水を逆流させ、八坂の塔の傾きをも正したといわれるほどの不思議な力の持ち主と伝えられています。
この親子の間であったからこそ、このような伝説が生まれたのでしょう。戻橋という橋の名前はこのような伝説から生まれました。
このほかにも、源頼光の四天王の一人であった渡辺綱(わたなべのつな)がこの橋の上で美しい女に化けた鬼に出会い片腕を切り落とした話など、いくつも伝説が残されています。
この橋のすぐ近くに、かの晴明神社があるが、安倍晴明がこの戻橋の下に一二神将を隠して、人の運命を操作していたなどという話も残っています。
堀川の一条戻橋付近は、昔の洛中と洛外を区分する四方の境界のようなところに当たり、そのことから、生死の境界をさまよう場所にあったのだと考えられます。清行の遺骸は洛中から蓮台野のほうに向かっていたのだろう。橋の上であれこれもの思いにふけってみました。
一条戻橋は堀川に架かる橋である。昔は友禅流しで知られたこの川も、戦後暗渠(あんきょ)と化して昔日の面影はなかったが、近年親水公園風に川が復活しています。
『京都地名の由来を歩く』より
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